おくたまコーチング・てっつーの、本当の自分と出会うブログ

奥魂(おくたま)と繋がる/奥多摩在住パーソナルコーチ松本哲明(てっつー)の公式ブログです。コーチングやイベントの情報、奥多摩での生活の様子などを徒然と綴っています。

「彼氏が○○でした」を元ネタにした大喜利に思うこと。悲哀を笑う

当ブログにお越しくださり

有り難うございます!

 

魂の声に耳を傾け、

自分らしく生きる。

 

奥魂コーチン

松本哲明(てっつー)です。

 

 

先日、ヤフー知恵袋に投稿された

質問を元ネタに、ネット上で

大喜利状態になっているという

まとめ記事を見つけた。

 

元ネタのページを拝見したが、

案の定、質問者の方は、

みんなに非難されたと

受け取っているようだった。

 

僕は単純に非難されたのではなく、

この質問が、世の中に貢献すら

していると思うのです。

 

 

▼参考記事

kogusoku.com

 

 

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実は自分自身を笑い飛ばしている

確かに、非難されたと思うのも

やむを得ないだろうし、

僕も彼女の立場だったら、

そう思うことは間違いない。

 

 

しかし、ネット上で展開されている

大喜利をよくよく読んでみる。

 

そこにあるのは、質問者を

笑い飛ばしているのではないと

感じられてきた。

 

(笑っている人もいるだろうけど)

 

 

そうではなく、書いた人自らの

人生の悲哀を笑い飛ばして

いるのではないだろうか。

 

 

 

 

誰しも抱える悲哀を笑う

誰にとっても、自分の言動は

本人にしてみれば、

全て「普通」のこと。

 

 

それは育ってきた環境や人間関係、

仕事柄、培われてきたもの。

 

 

でも、当然ながら、その「普通」が

通じる人は限られる。

 

突き詰めれば、ゼロだと言っても

過言ではないかもしれない。

 

 

そんな事実を目の当たりにした時、

何も感じない人はいないだろう。

 

 

でも、それは、それこそ自分で

抱えるしかない。

 

その、やり場の無さが、「悲哀」なのだ。

 

 

 

悲哀を表現するきっかけを作った

「貢献している」というのは、

この、やり場の無い「悲哀」を

表現する場を与えてもらえた

ということ。

 

 

しかも、表現すると同時に、

それを笑い飛ばすこともできる。

 

 

自らの悲哀を表現することは

簡単なことではないし、時として

多大なストレスの原因になり得る。

 

 

それを発散するフレームを

用意したと言える。

 

 

これは、貢献と言って良い。

 

断言する! 

 

 

 

最後に

ある記事を読んで、湧き上がってきた

想いを綴ってみました。

 

 

むしろ、感謝の氣持ちすらあると。

 

 

あとは、自分が納得できる方と

お付き合いしてください(笑)

 

 

おくたまより愛をこめて。

ヴィパッサナー瞑想の期間中に氣付いたこと

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奥魂コーチン

松本哲明(てっつー)です。

 

 

先日、ヴィパッサナー瞑想

いう10日間のコースに参加してきたと

書きました。

 

その10日間には、大小様々な

氣付きがありました。

 

その中でも、

特に印象に残っているものを

書き遺しておきます。

 

 

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決意する

コース中、毎日講話があります。

 

瞑想に対する理解を深めるため。

 

 

その中で、こんな話がありました。

 

 

釈迦には「悟りを開くのだ」という

決意があった。

 

だから悟りを開くことができた、と。

 

 

だから、彼は凡人の僕には

考えられないような苦行に

耐え抜くことができた。

 

 

そして、彼をして悟りまで至らせた。

 

 

って言うと、苦行が目的化しないように

氣を付ける必要はありますが(笑) 

 

 

図らずも、このコースに参加する

タイミングで、いくつかの決意が

ありました。

 

その決意に支えられたりして、

決意の大切さを、より大きく

感じられたわけです。

 

 

まずは決意する。

 

その先をどうするかは、

後で考える。

 

 

 

 

全てのプロセスは完璧

今度のは、コース中の内容とは

直接結び付きません。

 

 

ただ、

全てのプロセスは常に完璧なんだ。

 

そのことに深く納得できたんです。

 

コース中に。

 

 

ただ、そこにあるのは、そのことを

本人がそのことを理解しているか、

していないかという違いがあるだけ。

 

もっと言えば、

どちらに優劣があるわけでもない。

 

 

例えば、コースが始まってスグに

自分が奥多摩に住んでいる経験が、

アドバンテージになっているということを

感じました。

 

 

施設の周りは、小高い丘に囲まれていて、

一般の住宅などは目に入りません。

 

普段の生活の匂いすら無いのです。

 

 

都心に住んでいたりすると、そんな経験は

滅多に無いかと思います。

 

そうすると、やっぱり、そのギャップが

返ってストレスになったりする可能性が

ありますよね。

 

 

でも、奥多摩にいると、そんなことは

半ば日常です。

 

 

とはいえ、僕が奥多摩に移住してきた時、

当然ながら、ヴィパッサナー瞑想

ことは全く知りませんでした。

 

だから、僕のほうで準備していた

つもりは無いのです。

 

 

だからこそ見えてくる、プロセスは完璧

ということ。

 

 

それと同時に言えるのは、

全ては次への準備であるということ。

 

 

それは、同じ奥多摩移住を例にすると、

やはり移住後、スグにコースに参加した

としたら、また全然違ったものになった

という確信があるからです。

 

 

奥多摩に来た当初に取り組んだこと。

 

その次に始まった取り組んだこと。

 

そして、その次に…

 

 

その順番も、振り返れば絶妙でしたし、

その順番をスキップすることもまた

不可能でした。

 

 

全てのプロセスは完璧であり、同時に

全ては次への準備なのです。

 

だから、そのことに氣付いてなくても

OKなんです。

 

 

 

 

エエカッコシイ

これはチョット恥ずかしくなってしまう

氣付き。

 

自分はエエカッコシイだったな〜と。

 

 

要は、自分を良く見せたがっていた。

 

どう見られているか氣にしていた。

 

そのことを客観視できました。

 

 

ちょっと前に、僕のメンターの一人に

こんな言葉を貰っていました。

 

「100%光れ」

 

 

言い換えれば、自分の本音を

さらけ出す。

 

 

どこか自分を隠したりしていると、

100%光ることができなくなる。

 

 

僕の場合、どこか「人から良く見られたい」

という想いが、思いの外強かった。

 

 

そんな自分を客観視できたわけです。

 

 

だから、今の自分が置かれた状況は

こうなのか、と。

 

妙に納得し、良く見られようという

氣持ちをコントロールするように

しています。 

 

出てきたら、敢えて反対に向かう、

みたいな感じで。 

 

 

 

 

関連記事

be-yourself-labo.hatenablog.jp

 

 

 

最後に

ブログの連続更新を止めて参加した

ヴィパッサナー瞑想

 

そのコース中に得た氣付きを

綴りました。

 

このことは、とても僕自身に

力を与えてくれていて、

また新たな氣付きに繋がっています。

 

まだ言語化できてないけど。

 

 

おくたまより愛をこめて。

奥魂(おくたま)フリースクール始めます!(9th blog in Feb.)

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奥魂コーチン

松本哲明(てっつー)です。

 

 

今年の年末年始くらいの頃から

「奥魂(おくたま)フリースクール

という言葉が頭の中にありました。

 

そこから先のものが、

何も見えてこなかったのですが、

ここにきて、少しずつ、その

片鱗が見えてきたので、

ブログにも書くことにしました。

 

 

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魂が喜ぶ学びの場

このコンセプトは「魂が喜ぶ学びをしよう」。

 

「魂」なんて言ってるけど、

別にスピリチュアルなことをしよう

というのではありません(笑)

 

 

でも、自分の魂に触れるような体験というのは

多かれ少なかれ、誰にでもあるはず。

 

それは、きっと人生を、より豊かな方向に

大きく変えてくれた体験です。

 

 

そんな体験に繋がる学びの場を創ること。

 

 

同時に、よくある学校のように、

先生が一方的に教えるという、

ある種、ピラミッド的な教育ではなく、

誰が先生でも生徒でもないような、

フラットな関係の中で互いに成長していく

 

 

そんな場を創れたらなとイメージしてました。

 

 

その、第一弾に相応しいものと出会えました!

 

 

 

ファミリーコンステレーション

今回、企画することになったのは、

ファミリーコンステレーションです!

 

(以下「FC」と略します。)

 

 

FCは、僕もまだ知ったばかりで

十分な説明はできませんが、

一つのセラピーのようなもの。

 

 

一般的に、セラピーやカウンセリングで

扱われるクライアントさんの問題は、

その人個人の体験などに由来すると

言われている場合が殆どです。

 

ところが、FCでは、クライアントさん本人の

課題とは限らないと考えています。

 

両親だけでなく、祖父母や先祖などが

負った心の傷などに由来するものがある

ということ。

 

ちょっと不思議ですよね。

 

 

例えば、アル中になる人が出やすい

家系とかありますよね。

 

その家系のシステム(「場」とか「空気」)に

そういう種が、ずっと残っている可能性がある

ということです。

 

 

そこを発見し、癒していくものです。

 

 

あれこれ頑張って勉強したりしているが、

なかなか現実が動かないという方に

お薦めだそうです。

 

 

このFCを行える素敵な方と出会えたので、

「奥魂フリースクール」のプログラムとして

お願いすることになりました。

 

今回は、FCのエッセンスを知り、

体験する場になる予定です。

 

 

4月20日(土)の午後。

 

 

▼お申し込みは、コチラから

www.facebook.com

 

 

 

最後に

「奥魂フリースクール」を始めます。

 

その第一弾に相応しい機会も得られました。

 

準備を整い次第、正式に告知しますね。

 

 

おくたまより愛をこめて。

ブログ更新を再開して(8th blog in Feb.)

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奥魂コーチン

松本哲明(てっつー)です。

 

 

連続更新を中断して、再開するまで

結果として2週間以上のブランクが

空きました。

 

再開して早々、2日連続で更新。

 

我ながらビックリしています。

 

 

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アウトプットすると循環する

2日連続で更新してみて感じるのは、

やっぱり、ブログを更新していると、

循環する感覚があるなぁと。

 

血が巡るような感覚というか。

 

 

ともかく軽くなるように感じがして

心地良いんです。

 

アウトプットすることは、やっぱり大事ね。

 

 

 

最後に

ブログを再開して感じている感覚は

アウトプットすることの大切さを

改めて感じたということ。

 

簡単ですが、今回はここまで。

 

 

おくたまより愛をこめて。

恩師・磯淵猛氏と僕(7th blog in Feb.)

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自分らしく生きる。

 

奥魂コーチン

松本哲明(てっつー)です。

 

 

2/21の16時08分

 

僕の恩師の一人、であり父親のような存在

でもあった磯淵猛先生が急逝されました。

 

享年67歳。

早過ぎる突然の死だった。

 

この記事は磯淵先生に捧げます。

 

 

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最後にお会いした時に頂いたサイン

 

涙が溢れた

先生の訃報が届いたのは、

その突然の死の翌日。

 

共通の友人が知らせてくれた。

 

 

その時、僕は移動中。

 

周りの目が氣になりながらも、

溢れてくる涙をどうすることも

できなかった。

 

 

誰かの死で、これ程までに

泣かされたのは初めてだと思う。

 

 

しかも、悔しいのが、これ程までに

先生を慕っていたことに、こうやって

泣き腫らすまで自覚が無かったことだ。

 

益々、涙が溢れた。

 

 

 

正月にお会いしたのが最後に

今年の正月、里帰りしていた時に、

奥多摩へ戻る日程を先延ばしして、

先生のお店に行った。

 

先生は出張も多く、留守のことが

多いのだが、この日はお店にいた。

 

結果として、この日が先生にお会いする

最後となってしまったのだ。

 

この記事で使っている写真は

その時のものだ。

 

 

その時、互いの干支の話しから、

僕らの年の差が24歳という話題になり、

(つまり同じ干支。卯年。)

24歳差だったら、息子みたいなものだな

と話してくれた。

 

 

それは、何やら事業を始めたという

僕に対する応援のメッセージだった。

 

 

その時、僕は先生に「良かったなー!」

って言葉をかけてもらえるようになろう

と心に決めた。

 

 

67歳という年齢。

 

その時間は十分にあると思っていた。

 

 

 

磯淵先生と僕

磯淵先生は、日本の紅茶業界の第一人者だ。

 

僕が大学生の時、1995年頃から通っている

紅茶専門店ディンブラのマスターでもある。

 

(近年は、滅多にお店には立たなかったが。)

 

 

直接お目にかかることになったのは、

2005年7月。

先生の紅茶教室に通うようになった時からだ。

 

 

でも、先生が鑑定した紅茶を

飲んでいたという点では、間接的には

四半世紀近い付き合いだった。

 

 

その後、2007年の夏にはスリランカ

茶園巡りのツアーに参加させてもらったり、

2009年の春には、イギリス留学中の僕らに

イギリスツアーを組んで会いに来てくれた。

(と勝手に思っているw)

 

 

近年は、住む場所がだんだんと

藤沢から離れて行った関係で、

年に1〜2回しか会えなかった。

 

それでも、会うと、まるで久しぶりな

感じがしないのが不思議が方だった。

 

 

 

 

愛を教わった

先生からは、紅茶というものを通じて、

実に多くのことを学んだ。

 

 

その中で最たるものは「愛」だと思う。

 

言い換えれば「思いやり」とか「優しさ」だ。

 

 

先生は、僕のような顔馴染みが来ると、

お店の奥にあるオフィスにいれば、

必ずと言って良い程、わざわざ

顔を出して来てくれた。

 

例え多忙であっても「今、忙しいんだよ〜」

とか言いながら。

 

 

そして、例え短い時間であっても、

必ず何かしら優しい言葉や

励ましの言葉をかけてくれた。

 

 

最近、思うのは、こうやって

自分の時間を誰かの為に差し出すこと。

 

これは愛だと思うのです。

 

 

でも、僕は、亡くなったのを知り、

涙が止まらなくなって初めて

そのことに氣付いたのである。。。

 

沢山の愛をもらうだけもらって、

自覚すらしていなかったと。

 

 

 

 

沢山の大切なこと

他にも学んだことは山ほどある。

 

・とかくハイソな印象を持たれがちな紅茶を、

カジュアルな飲み物として提供する知恵。

 

アフタヌーンティーだけが紅茶ではないのだ。

 

 

世界に目を向ければ、

庶民にも親しまれている、とても

懐の深い飲み物であることを教えてくれた。

 

僕自身も、そのスタンスが

とても好きだった。

 

 

・スパイスをブレンドする時は、

一番強調したいスパイスを決める

 

あれもこれも欲張って混ぜない。

 

 

これは、スパイスに限った話ではない。

 

 

あらゆる場面で、それこそブログを

書く上でも役立っている普遍的な

知恵だった。

 

 

 

・紅茶は人と人を繋ぐ

 

最近、色んな方から、僕は人を繋げるのが上手い

と言ってもらえる。

 

 

自分では全くもって自覚が無いのだが、

これは紅茶の魔法かもしれない。

 

 

 

 

最後に

恩師・磯淵猛先生から受け取ったもの

について書きました。

 

紅茶を美味しく淹れる方法だけでなく、

実に多くのことを学ばせてもらった。

 

急なことで、まだ本人もビックリ

しているかもしれない。

 

でも、これが先生のタイミングだったのだ。

 

色んな話を聞くにつれ、そう感じる。

 

どうぞ安らかに。

 

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おくたまより愛をこめて。

ヴィパッサナー瞑想のコースに参加してきた。万人ウケはしないが、皆さんにおススメしたい!(6th blog in Feb.)

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有り難うございます!

 

魂の声に耳を傾け、

自分らしく生きる。

 

奥魂コーチン

松本哲明(てっつー)です。

 

 

予想よりも久々の更新になりました。

 

600日以上続けてきたブログの連続更新を止め、

あるトレーニングのコースに参加しました。

 

ヴィパッサナー瞑想というものです。

 

決して万人ウケするものではありませんけど、

皆さん、ご参加すると良いと感じています。

 

このコースがもたらすものは十人十色。

 

僕が感じたものを綴ります。

 

 

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辿り着いた!

今、一番感じているのは、

遂に辿り着いた!という感覚。

 

 

コースを経て、心の軸が定まった

という感覚や確信が芽生えてきたのを

実感しています。

 

 

人生を通じて回り大小様々な歯車が、

このタイミングで揃って1周した。

 

そんな感覚です。

 

 

かなり個人的なものになります。

 

僕が、今のコーチングの仕事につながる

とも言える心の学びを始めたのが二十余年前。

 

当時は大学生でした。

 

 

僕のこの二十余年の歩みの中で、

意図せず、無意識のうちに求めていた

在り方に対するOKを、この瞑想法から

伝えられたから。

 

 

また、いつの頃からかやっていた、

自分の体の感覚遊びみたいな癖が、

この瞑想法と酷似していたことも、

何か因縁浅からぬものを感じ、

それも心に軸を持たせてくれてます。

 

 

他にも、大小様々なことで腑に落ちることが

何個もあったことも大きいです。

 

 

 

 

心を洗い、綺麗に保つ

もう一つ感じているのは、自分の心を

自分でいかに汚していたかを自覚したこと。

 

汚していたという言葉を使いましたが、

感覚的には、「部屋を散らかしていたか」

ということに近いです。

 

 

このブログの主なテーマは自己開示。

 

これは心の中を掃除することであるとも

言い換えることができます。

 

 

今回のコースを終えて感じることとして、

掃除するのはやっていたけど、

同時進行で部屋を散らかしている自覚を

持ててはいなかったということ。

 

 

もちろん、汚すことをゼロにすることは

不可能ですけど、全く無頓着だったことに

思い至りました。

 

自分の生き方に、心を汚すものがある、

ということが客観視出来てきたわけです。 

 

 

汚れが落ちることによって、

僕は集中力や心の安定を味わいました。

 

 

  

 

今この瞬間を生きる方法

ヴィパッサナー瞑想は、

あのシャカが悟りを開いた時に

実践していた瞑想法だそうです。

 

つまり、25世紀以上の期間に亘って

受け継がれてきたということになります。

 

 

僕の解釈ですが、コース中は、

心が、今この瞬間に居続けることを

徹底的に叩き込まれます。

 

 

そのプロセスを通じて、結果として、

心の汚れが洗い流されたり、

鍛えられたりします。

 

 

 

 

無常の本当の意味

このコースを通じて学んだことは、

「無常」とか「儚い」という

言葉の元来の意味です。

 

 

とかくネガティブなイメージが

付き纏いがちな、これらの言葉。

 

でも、これは単なる自然の法則の

一つであると学ぶんです。

 

 

リンゴが重力で落ちるということと

何ら変わらないこととして。

 

 

そういうのが見えてくると、

僕の場合は、逆にそこに

美しさすら感じられてきましたね。

 

 

この辺りは、瞑想を通じて

体感的に学びますので、

このくらいに留めます。

 

 

人それぞれなので、

ここに思いが至らなくても、

それぞれのベストがありますので、

OKです。

 

 

 

 

愛や慈悲を学んだ

あとは、愛や慈愛、慈悲といったものについて

学ぶ機会にもなりました。

 

 

ヴィパッサナー瞑想の教えは性善説的。

 

人の本質には深い愛や慈悲の心が

眠っているという前提がありました。

 

 

瞑想を通じて、そういった愛や慈悲などを

学び育む契機をいただきました。

 

 

あ~僕は愛の気持ちを持つことを

すっかり忘れていたなぁ…

 

 

 

 

コース中に守るルール

コースは10日間(10泊11日)。

 

コース中は、毎日、朝の4時に起床。

 

4時半から夜の9時頃まで、

食事などの休憩の時間を除いて、

ずーっと瞑想です。

 

講話の時間もありますので、

計算が難しいですが、少なくとも

トータルで100時間以上瞑想していた

ことになります。 

 

 

コース中は、守らなきゃいけない、

いくつかのルール(戒律)があります。

 

 

その中でも、最も重要なのが

「聖なる沈黙」と呼ばれているもの。

 

 

人との会話は勿論、アイコンタクトなども

含めて全てのコミュニケーションがNG。

 

 

だから、聞こえる音は、足音や、

食事中の食器の音くらい。

 

 

とは言っても、終えて痛感するのは、

これら戒律があったからこそ、

10日間のトレーニングを乗り越えられた

という感覚があり、むしろ提供する側の

氣遣いを感じます。

 

 

 

 

死ぬ練習

「瞑想は死ぬ練習」なんて、ある方が

仰っているのを聞いたことがあります。

 

ヴィパッサナー瞑想の体験は、

正に、そういう感じがしました。

 

 

その前に、「自分は死後の世界は

無いと思っている」って方も

いらっしゃると思います。

 

まぁ、そういう方も、良かったら

この後の内容を頭の片隅に

置いてみてください。

 

 

ちょっと脱線します。

 

というのも、死後の世界が

「無い」と証明されたわけでは

ないからです。

 

 

無いことを証明するのは

難しいものです。

 

 

この地球上に、私たちの文明と

接触したことが無い民族はもう存在しない

と証明するのが不可能に近いように。

 

 

いざ、私たちが死んでみたら、

無いと思っていたら死後の意識が

あったとしたら、なんの準備も

できてないことになります。

 

かなり困惑しますよね。

 

 

実際、無いと思っている方が

正しかったとしても、

それについて認識したりすることも

できないわけです。

 

 

まぁ、どう考えても、言葉の上では

「死後の意識はある」としたほうが

有利?なのです笑

 

 

さて、本題に戻りましょう。

 

会場に着いてエントリーを済ませると、

まず財布などの貴重品や携帯電話を

預けなければなりません。

 

これは、先程の戒律の為です。


よく、「あの世にお金は持っていけない」

なんて言いますよね。


財産だけでなく、他の参加者の方との

コミュニケーションもありません。

 

みんな、声も知らない者同士のまま、

最終日まで続きます。

 

 

財産を手放すだけでなく、

親しい人達も周りにいない。

 

連絡も取れない。

 

 

恐らく、死んだ当初にあるのは、

こういう状況ではないかと思うのです。

 

 

三途の川は?とかありますが、

これは文化的な色彩が強いので、

誰にでも起こりうるものでは

無いと考えています。

 

 

そんな環境を疑似体験ができる

というオマケも付いてきます。

 

 

 

 

日々の講話

コースの中では毎日、指導者の

ゴエンカ師の講話の録音を聞きます。

 

 

今に伝わる原始仏教の様子を

聞くことができたり、

先ほど書いた「無常」ついて

分かりやすく解説して、

理解を深めてくれる点が

素晴らしかったです。

 

 

録音にも関わらず、その内容の

イムリーさにも驚かされる場面が

何回もありました。

 

 

例えば、ある日、すごい氣付きを得たら、

その直後の講話で「これこれ、こうなる

人が良くいるが、それは落とし穴である」

なんて言われ、ハッとさせられたり。

 

 

その一方で、僕としては、

「悟りに至る唯一の方法」といったような、

少々強い言葉には閉口しました。

 

 

でも、講話の中でも述べられていますが、

全てを受け入れる必要は無い

ということにホッとします。

 

 

この瞑想法は知識を得るためではないからです。

 

あくまで実践的な手法を、

体で覚えるということが一番大事。

 

 

それがあれば、講話の内容は、

極端に言えば、右から左でもOKなのです。

 

 

 

 

先生に会うだけでも価値あり

コースに、本来の指導者である

ゴエンカ師は来ません。

 

代わりに、彼から指名された代理指導者が

参加者の瞑想をサポートしてくれます。

 

 

個人的には、この方に会えるという

ことだけでも参加した価値があると

思っています。

 

 

その慈愛に溢れた姿に感銘を受けました。

 

こんな人もいるんだ。

 

 

女性だったこともありますが、

バイロン・ケイティと似た雰囲氣を

感じました。

 

 

 

 

苦しみを受け入れていく

ヴィパッサナー瞑想は、釈迦が

開発した瞑想法です。

 

仏教の始まりにあるのは「生老病死

への苦悩です。

 

 

この世に生を受けたことは、老い、病、死

といった苦しみがもれなくセットです。

 

 

この瞑想法が目指しているもの。

 

老病死に代表される、

生きていく上で遭遇する種々の苦しみ。

 

それらを受け止められるようになること。

 

 

そこにあるのは諦めるといった質感ではなく

むしろ前向きというか、ニュートラルな質感です。

 

つまり、私たちが、それらの「苦しみ」に

影響されることなく、自分の人生を

生き続ける方法を学ぶと言えます。

 

 

 

先日亡くなられた樹木希林さん。

 

晩年の彼女は、正にヴィパッサナー瞑想的な

生き方をされていたと、僕は思いました。

 

彼女が、この瞑想を実践していたかどうかは

僕の知るところではありませんけどね。

 

 

 

 

若い方が多かった

印象的だったのが、参加者の年齢です。

 

内容もないようなので、僕のような

年齢層が中心だと思っていました。

 

 

でも、実際は30歳前後が中心。

 

 

若い人は19歳の方もいました。 

 

 

 

どの方にも比較的共通していたのは、

人生の過渡期を迎えていることでした。 

 

 

 

おススメする方

こんな方におススメだと思います。

 

 

・コーチなどの対人支援者

・経営者/個人事業主など

・アーティストやクリエイター

・人生の過渡期を迎えている方

・心や集中力を鍛えたい方

 

 

 

 

持って行くと良い物

次に自分が参加する時のための備忘も

含めて、あると良い持ち物を書いておきます。

 

 

ちなみに、施設は千葉と京都にあります。

 

僕は千葉の施設を利用したので、

京都のほうでは少し勝手が違うかもです。

 

 

水に強い履物

施設は全体的に粘土質な土地のようで、

水捌けが悪いです。

 

雨が降ったりすると、すぐに

水たまりや泥濘ができてしまいます。

 

長靴などを貸りることもできますが、

水に強い履物があると良いと思います。

 

 

アイマスクや耳栓

宿泊施設は2棟あります。

 

僕は個室になっている棟でしたが、

別の棟は大部屋でした。

 

休憩時間で昼寝をしたい時などに、

アイマスクや耳栓があると良いかもです。

 

 

水筒

宿泊棟に水道がありません。

 

喉が乾いたら、離れた所にある給水施設まで

赴く必要があります。

 

水筒があれば、適宜、水を入れておけば、

給水施設に行く手間が省けます。

 

(宿泊棟で水を飲むのはOKです。)

 

 

こんなところでかな。

 

逆に、洗濯することもできるので、

服は、もっと少なくても良かったかもです。

 

 

全体としては、ゲストハウスに泊まるような

感じですが、予想以上に快適に滞在できました。

 

参加者全員が集まれる瞑想ホールは

床暖房まで完備していて!

 

 

 

 

参考リンク

www.jp.dhamma.org

 

 

 

 

最後に

ようやく書けた~!って感じです。

 

すごい長いものになっちゃいました。 

 

ひょんなことで勧められて参加しましたが、

とても意義深い経験となりました。

 

ぜひ、多くの方が参加されたら良いと

今は感じています。

 

あくまでトレーニングですからね。

 

決して楽な体験ではありません。

 

僕自身、途中、何度も挫けそうになりました。

 

 

ありがたいことに、無事に乗り越えた今ですが、

まだまだ、これがスタート地点という感じです。

 

コースを通じて学んだことは、これから

更に深めていく必要を感じています。

 

でも、ここで学んだことは、コーチングなど

様々な場面で、皆さんに還元しますよ!

 

 

おくたまから愛を込めて。

 

連続更新記録を手放すことについての、今の心境(5th blog in Feb.)

当ブログにお越しくださり

有り難うございます!

 

おくたま(奥魂)の望む

生き方に臨む。

 

奥多摩在住パーソナルコーチ

松本哲明(てっつー)です。

 

 

昨日の更新で、毎日、何かしらの

記事をアップするということを

手放すということについて、

お伝えしました。

 

一夜明けての心境を書いてみます。

 

 

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概ね好意的な反応

ブログの更新はSNSで報告してます。

 

そちらでの反応は、概ね好意的な

ものをいただきました。

 

 

勿体無い!っていう方も出るかと

想定はしてましたが、少なくとも

届いてはいません。

 

僕のところには(笑)

 

 

ま、反対されたところで、

この決断を下ろすつもりは

ありませんでしたけどね。

 

(えへ。)

 

 

でも、それはそうとしても、

好意的に受け取ってもらえる

ということは嬉しいものです。

 

 

 

 

その意味を知る人々

仕事柄というか、SNSで繋がっている

方々の多くがコーチなど、

人と関わり、サポートしていくことを

生業や役割としている方々が多い

ということも背景にあるでしょう。

 

好意的に受け取ってもらえたのは。

 

 

というのは、「手放すことの意味」を

知っている人たちだから。

 

 

手放すからこそ得られる価値が

あるということを知っている。

 

それだけではなく、手放すことの

「痛み」があることも知っている。

 

 

そういう人たちなのです。

 

だからこそ、僕のような変化を

素直に、好意的に受け取れる。

 

 

 

 

最後に

1年前の今日、SNSで、僕は

「コーチになってホントに良かった」

ってツイートしてました。

 

そのことを、今の自分として

書き表してみました。

 

何者にも代え難い繋がりを持った

仲間と出会えたからです。

 

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