おくたまコーチング・てっつーの、本当の自分と出会うブログ

奥魂(おくたま)と繋がる/奥多摩在住パーソナルコーチ松本哲明(てっつー)の公式ブログです。コーチングやイベントの情報、奥多摩での生活の様子などを徒然と綴っています。

「彼氏が○○でした」を元ネタにした大喜利に思うこと。悲哀を笑う

当ブログにお越しくださり

有り難うございます!

 

魂の声に耳を傾け、

自分らしく生きる。

 

奥魂コーチン

松本哲明(てっつー)です。

 

 

先日、ヤフー知恵袋に投稿された

質問を元ネタに、ネット上で

大喜利状態になっているという

まとめ記事を見つけた。

 

元ネタのページを拝見したが、

案の定、質問者の方は、

みんなに非難されたと

受け取っているようだった。

 

僕は単純に非難されたのではなく、

この質問が、世の中に貢献すら

していると思うのです。

 

 

▼参考記事

kogusoku.com

 

 

f:id:be_yourself_labo:20190219114003j:image

 

 

実は自分自身を笑い飛ばしている

確かに、非難されたと思うのも

やむを得ないだろうし、

僕も彼女の立場だったら、

そう思うことは間違いない。

 

 

しかし、ネット上で展開されている

大喜利をよくよく読んでみる。

 

そこにあるのは、質問者を

笑い飛ばしているのではないと

感じられてきた。

 

(笑っている人もいるだろうけど)

 

 

そうではなく、書いた人自らの

人生の悲哀を笑い飛ばして

いるのではないだろうか。

 

 

 

 

誰しも抱える悲哀を笑う

誰にとっても、自分の言動は

本人にしてみれば、

全て「普通」のこと。

 

 

それは育ってきた環境や人間関係、

仕事柄、培われてきたもの。

 

 

でも、当然ながら、その「普通」が

通じる人は限られる。

 

突き詰めれば、ゼロだと言っても

過言ではないかもしれない。

 

 

そんな事実を目の当たりにした時、

何も感じない人はいないだろう。

 

 

でも、それは、それこそ自分で

抱えるしかない。

 

その、やり場の無さが、「悲哀」なのだ。

 

 

 

悲哀を表現するきっかけを作った

「貢献している」というのは、

この、やり場の無い「悲哀」を

表現する場を与えてもらえた

ということ。

 

 

しかも、表現すると同時に、

それを笑い飛ばすこともできる。

 

 

自らの悲哀を表現することは

簡単なことではないし、時として

多大なストレスの原因になり得る。

 

 

それを発散するフレームを

用意したと言える。

 

 

これは、貢献と言って良い。

 

断言する! 

 

 

 

最後に

ある記事を読んで、湧き上がってきた

想いを綴ってみました。

 

 

むしろ、感謝の氣持ちすらあると。

 

 

あとは、自分が納得できる方と

お付き合いしてください(笑)

 

 

おくたまより愛をこめて。